◇ちばてつやさん死去
「あしたのジョー」「おれは鉄兵」などのヒット作で知られる漫画家ちばてつや(本名千葉徹弥=ちば・てつや)さんが22日午後、骨髄異形成症候群のため都内の病院で死去した。87歳。東京都出身。葬儀は家族葬で執り行った。後日、お別れ会を行う予定。「あしたのジョー」は社会現象を巻き起こす大ヒットとなり、多くのプロボクサーに影響を与えた。
生涯ペンを握り続けた漫画家人生だった。8月までエッセー漫画「ひねもすのたり日記」を連載。9月に体調不良で休載を発表したが、強い創作意欲を持ち続けていたという。ブログ「ぐずてつ日記」では、薬とサプリの写真を掲載しながら「いやはや、年寄りが生きていくって大変」とユーモラスに報告するなど、8月17日まで更新を続け、ファンとの交流も楽しみ続けてきた。
生涯を通じて人を楽しませることが好きだった。漫画を描く原点となったのも一番身近にいた家族が喜ぶ顔を見たかったから。終戦を迎えた6歳の時、むずかる弟をあやすため、絵を描いて話を作り笑顔にさせた。この経験が漫画家への道につながった。
ちばさんの人生を大きく変えたのが、ボクシング漫画「あしたのジョー」だった。1967年に「週刊少年マガジン」で連載が始まった当時は高度経済成長の真っただ中。ちばさんは「まだ戦争の傷痕が残っている中、“頑張ればできる”と感じてもらいたかった」と思いを込めた。その願いは通じ、貧しくても自分の生きる道を貫くジョー(矢吹丈)の姿は若者の共感を呼んだ。作品は作家の三島由紀夫や劇作家の寺山修司らにも愛された。
漫画の人気は社会現象となり、キャラクターを溺愛する読者も急増した。ジョーのライバル、力石徹が作中で死んだ際には読者からちばさんの元へ抗議の電話が殺到。さすがに困惑したちばさんだが、寺山の呼びかけで70年3月24日に講談社で力石の葬儀が営まれ約700人のファンが参列すると「作者冥利(みょうり)に尽きる」と感激したという。
力石は梶原一騎の原作を見て、大柄な男を想像して描いてしまったために、小柄なジョーとの試合前に無理な減量をし、これが死の要因となった。ちばさんは長くそのことに胸を痛め「力石に申し訳ないことをした」と話した。自分が生み出したキャラクターへの思いも、ファン以上に強かった。
その後も「おれは鉄兵」「あした天気になあれ」など困難に立ち向かう主人公を描き続け、読者に希望を与え続けた。24年には漫画家として初めて文化勲章を受章。妻の幸子さんは「数多くの読者の皆さまにご支持いただけましたことは、漫画家として本当に幸せな人生でした」と、ちば作品を愛し続けた読者に感謝した。
ちば てつや(本名千葉徹弥=ちば・てつや)1939年(昭14)1月11日生まれ、東京都出身。56年、日大一高在学中にデビュー。「ちかいの魔球」(61年)「ハリスの旋風」(65年)などスポーツ、学園ものを得意とする。2012年旭日小綬章、14年文化功労者。18年日本漫画家協会会長就任。22年日本芸術院会員。弟のちばあきおさんは「キャプテン」などが代表作の漫画家、七三太朗さんは原作者。
◇あしたのジョー ボクシングを通じて主人公・矢吹丈の生きざまを描いた作品。師匠の丹下段平、ヒロイン白木葉子らキャラクターも際立ち人気を支えた。1967~73年に連載し、単行本の発行部数は2500万部超。アニメはフジテレビで70~71年に放送。最高視聴率は29.2%。「パート2」は日本テレビが80~81年に放送。アニメ映画は80年と81年、実写映画は70年と2011年にそれぞれ公開された。
▼山下智久(2011年公開の映画「あしたのジョー」に主演)原作を読み、何度倒れても立ち上がるジョーの姿に背中を押され、「挑戦することの大切さ」を教えていただきました。その精神は今も私の根幹に宿っています。
《矢吹丈ベストバウト》 ▼力石徹(少年院時代) 師匠の丹下段平の指導でボクシングの基礎を身に付け、大善戦。相打ち覚悟のクロスカウンターを放ち2RダブルKO
▼ウルフ金串 将来を嘱望された金串をトリプルクロスカウンターで4RKO勝ち。金串は顎を砕かれ、引退を余儀なくされる
▼力石徹(プロで再戦) ウエルター級だった力石がジョーと戦うため10キロ以上減量し、バンタム級で対戦。8回に左アッパーを浴びKO負け。しかし、6回に放ったテンプルへの一撃により、力石は試合後命を落とす
▼カーロス・リベラ 境遇の似ているカーロスとの交流で力石を失った精神的後遺症を払拭。エキシビションマッチはルール無視の対決となり両者失格に
▼ホセ・メンドーサ 最強王者と初の世界戦。判定で敗れ“灰になる”。しかし、王者も試合後に髪が真っ白に…
2026年10月28日 05時57分