コメディアン萩本欽一(85)が24日放送のニッポン放送「ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回」(土曜前11・00)にゲスト出演。「コント55号」“解散”後にアメリカに渡ることを決意した過去を明かす場面があった。
別々で活動していた坂上二郎さんからの誘いを受け、1966年に「コント55号」を活動。最初は「1回だけ」のつもりだったが、その後もコンビとしての活動を継続し、一世を風びした。
パーソナリティーの和田アキ子から「資料によりますと、コント55号も最初は坂上二郎さんをあんまりいい風に思ってなかった?」と聞かれた萩本は「思ってないです。お笑いで言うと、一番嫌な人から声かけられちゃって」とぶっちゃけた。
「だから優柔不断。“好きじゃねえんだ”って言えないから、“そうよね”“そうよね”って。で“コンビ組まなくていいから、舞台一緒にやろうよ”って言うから。“そうね、じゃあ1回だけね”ってやって。で“2回目どうすんの?”って言うから、“んー2回目もいいんじゃない”って。5回ぐらいまで二郎さん“次どうすんの?”“いいんじゃない”って。“これずっと続けてもいいんじゃない”って(なった)。だから二郎さんの運に乗っかっただけで。ありがたい人です」と明かした。
その後、「コント55号」は解散宣言はしていなかったが、コンビとしての活動を控えるように。「俺ね、55号やめた時、“アメリカ行く”って言い出したことがるの」と告白。「そしたら弟子の(車)だん吉が“あーそうですか。大将やめちゃうの?えーコント55号の名は残ったけど、萩本欽一っていう名はとうとう残らなかったね。残念”って言うのよ。“お前嫌なこと言うなぁ。行くのやめた”って。俺すぐやめる。やめるのやめた。人の言うことですぐコロッと変わっちゃうの人なんです」と苦笑した。
和田は「アメリカ行こうと思ったんですか?」と質問。萩本は「だって、チャップリンとか、アメリカ行って勝ったって言うんで。これからはアメリカに行ってやるべきだろうってんで思ったの。で行こうと思ったの。そしたらその言葉言われて、すぐやめた」と振り返った。
その後、萩本は司会者として大ブレーク。テレビ朝日系「欽ちゃんのどこまでやるの!」(76年)、フジテレビ系「欽ドン!良い子悪い子普通の子」(81年)、TBS系「欽ちゃんの週刊欽曜日」(82年)といった冠番組が軒並み高視聴率を獲得。出演する番組の視聴率の合計から「視聴率100%男」の異名も付くほど、一時代を築いた。
2026年10月24日 17時20分