お笑いタレントの山田邦子(66)が、23日放送のTBSラジオ「純烈・酒井一圭 Brand-New Morning」(金曜前5・00)にゲスト出演。現在の活躍につながる幼少期の体験を語った。
2024年10月に、日本喜劇人協会の11代目会長に就任した山田。森繁久弥、三木のり平、曽我廼家明蝶、森光子ら、歴代会長を務めたレジェンドの名前を挙げながら、「大村崑さんが8代目でご存命で、今度95歳。だから崑ちゃんからいろんなことを聞かないと、みんな亡くなっちゃってるんで」といい、「私が11代目っていうことで、喜劇をやらないとっていうことで大変なの」と、その重責を明かした。
そして番組パーソナリティーの「純烈」酒井一圭から「もともと落語家を目指してたんですか?」と聞かれると、自身の生い立ちを回想。下町育ちで近所に演芸場があり、落語家が通りを行き来する環境で幼少期を過ごした。まだ子供だった山田が客席でうろうろしていると、舞台から声を掛けられたという。
中でも初代・林家三平が高座をつとめた時のこと。その頃、舞台からイジってもらえることに味を占めた山田は、いつものように遅れて客席へ。三平から言われる前に「どうもすみません」と“先攻”すると客席は湧いたが、当時を思い返した山田は「今思うと、やりづらい素人だよね」と苦笑いした。
そんな落語が身近にあった経験から、「落語家さんになりたいな」と思うように。5代目三遊亭円楽の姿に「品が良くて、体が大きくて優しそうでいいなあ」と憧れながら、その弟子である楽太郎(現・6代目円楽)に触れ、「楽太郎さんがいいのは師匠がいいからかなって、勝手に子供ながらに思って弟子入りしたかった」と打ち明けた。
しかし「学校はそういうのは禁止だった」と回想。学生時代、自身は川村短期大学(現・川村学園女子大学)に通いながら、早稲田寄席演芸研究会に在籍していた山田は、そこで覚えた落語を披露しつつ、同級生との漫才コンビ「のりこ・くにこ」を結成すると人気に。
山田は当然2人でデビューするものと考えていたが、「のりこちゃんは凄いお嬢さんで、学校が厳しかった」と告白。突如、相方から「怒られちゃうじゃない。私は幼稚園の先生になる」と言われてしまい、仕方なくピン芸人としてデビューした。
そんな出来事に山田は「泣いたわー、寂しくて。えーって」と振り返ったが、「これでバスガイドさんのネタもできて、ピンだったから、使いやすかったから46年続けてできたのかな」と感慨深げに語っていた。
2026年10月23日 11時24分