今秋ドラフト会議で近大の宮原廉投手(4年)が中日から1位指名を受けた。スポーツニッポンでは、宮原が歩んだ1位指名までの足跡を振り返る特別連載を2回に分けて掲載。後編では、少年野球から高校までの軌跡に迫る。(アマチュア野球担当・河合 洋介)
小学校入学前、息子とのキャッチボールから帰ってきた父の司さん(56)が興奮気味に話した。「廉の野球の才能、凄いかも」。公園で父子がゴムボールを投げ合うよくある光景。ただ、それにしては制球があまりにも正確すぎる気がした。そんな父の感想を、母・芳美さん(54)は「親バカやな」と笑いつつ、休日になると必ず公園に向かう2人を微笑ましく見守っていた。
そこで小学校入学を機に、母が聞いてみた。「野球始めたい?」。すると「サッカーやりたい!」と答えた。育った地域はサッカーが盛んで、野球は少数派。それでも父の直感がどうしても心に引っかかり、母から「野球もやろうよ」と提案した。そして小1からサッカーと野球の両方を習い始める。そうするうちに野球に熱が入り、小4になって習い事を一つに絞ろうと話し合った時には「野球にする」と即答だった。
少年野球時代から投手で、試合で投げることが大好きだった。それなのに平日の自主練習は、どうも足取りが重い。母が「練習に行く?」と聞くと「日曜に投げたら水曜まで肩を休ませないといけないんだよ」と、知ったばかりの知識を披露する。親子での練習を恥ずかしがる年頃かと考え、母は空が暗くなってから「キャッチボールしようよ」と声をかけるなどあの手この手で公園に連れ出した。
ただただ野球が好き。そんな純粋な心に向上心の火が灯るのは、高校まで時計の針を進めなければならない。高校は強豪私学の崇徳(広島)に入学するも新型コロナに襲われ、練習に集中できない期間が続いた。その練習不足を補おうと広島県内のスポーツジム「アスリート」に通い始めたことが転機となる。体を鍛えれば球速が上がる。その好循環を体感し、高2秋から連日のように練習後にジムに通うようになった。
冬は凍った山道を通ってジムへ行き、自宅に戻るのは午後10時を過ぎていた。「危ないから止めた方がいいんじゃない?家で練習すればいいよ」。そう母が心配しても「絶対にやり切りたいから」と言って聞かなかった。
そんな会話をする度、母は公園で一緒に練習した少年時代を思い返していた。「あの頃は何とか練習に連れ出していたのに…。今では、すっかり逆だな」。ひと冬超え、3年春の広島大会で決勝進出。その決勝前夜、指導者から電話があった。「夏の再戦を見据えて明日は登板させないから」。すぐに「投げたいです」と反対した。そこには、ただ試合で投げることが楽しかった頃の姿はもうなかった。気付かぬうちに勝敗を背負う立派なエースに育っていたのだ。
高校卒業前、大学に提出する書類に「大学では4年後のプロ入りを目指して頑張ります」と書いた。初めて記した将来の夢。その書類を横目に母は「え…。そうなの?」と心の中で驚いた。それから4年。当時は夢にすら描いていなかった1位指名を受ける未来が待っていた。
=終わり=
2026年10月31日 07時00分