俳優の本木雅弘(60)が東京・新国立劇場小劇場で初の朗読劇「たとえば君 四十年の恋歌」に出演している。31年ぶりの舞台で、細胞生物学者で歌人の永田和宏(79)が2010年に亡くなった妻で歌人の河野裕子との間に交わした相聞歌を女優の森口瑤子(60)と静かに、熱く詠(よ)み上げていく。妻の最期の言葉を受け止めようと本木が空に手を伸ばす姿が切なく、涙があふれた。(レポート:西村綾乃)
朗読劇は永田と妻が残した書籍「たとへば君 四十年の恋歌」が原作。京都大学に通っていた永田と、京都女子大学の学生だった裕子が出会った1967年7月から、亡き妻を思って生きる現在までが描かれている。
冒頭は会場の外の景色と同じ、落ち葉散る秋。美しい横顔の本木が、一人たたずんでいた。和装姿の森口は裕子が永田との初対面時にしていたハーフアップに髪をまとめ本木に寄り添った。目を合わせた二人は、愛おしそうに微笑んだ。
出会いは大学時代。一瞬で恋に落ちた永田のときめきを本木は目を輝かせて表現。しかし、裕子の心が別の男性にあると知り、「彼女を奪いたい」と嫉妬する。恋に翻弄(ほんろう)される本木の姿が初々しかった。
強い感受性を持ちながらも、生きている実感が乏しい裕子にとって永田は、現実の世界と自分をつなぐ唯一の存在。二人の男性の間で揺れていたが、3歳で実母を亡くした永田を全力で愛すると決意することで、生きる意味を発見。永田は裕子に愛されることで安らぎを得る。互いに満たされたことで心が息を吹き返していく。居場所を見つけたかのように安堵し、より穏やかなものになる本木の声が印象に残った。
「歌はもう一つの歌があってこそ存在した」。甘酸っぱい恋愛から結婚生活、全力で臨む子育て、ケンカもすべて短歌に刻む二人。台所で生タマゴを持ったまま思考停止する昭和の男をコミカルに演じる本木の姿には笑いも起こっていた。
裕子が乳がんを患ったことが分かった2000年9月からは、手術の後遺症に苦しみ、壊れていく生活についても短歌にした。
死の床でもわき出る言葉を、裕子はティッシュの箱や薬袋に書きつけた。筆を握る力も奪われた最期は永田による口述筆記で、消え入りそうな息の下から絞り出すように少しずつ言葉を伝えた。
<手をのべて あなたとあなたに 触れたきに 息が足りない この世の息が>
「手をのべて…」と口を開く森口の言葉を必死になぞる本木。あの世に片足を突っ込んだ裕子をつかみ、この世に引き戻すように左手をスッと前に伸ばした。「息が足りない」と苦悩の表情を見せる森口を追うように空(くう)に手を伸ばすが何もつかめない。体は近くにあっても、どんどん遠くに行ってしまう。壮絶なやり取りは、裕子が最期に命を燃やした2010年8月の病室を思わせた。「もうこれでいい」と満足そうに笑った森口がガクッと力を失った瞬間、記者の目から涙がこぼれた。会場には、すすり泣く声が響いていた。
<あほやなあと 笑ひのけぞり また笑ふ あなたの椅子に あなたがゐない>
裕子が旅立ってから16年。永田は亡き妻を思い続けている。
終演後、ホワイエで赤い目をした女性が友人に「旦那の最期を思い出しちゃった」と話す姿に胸が締め付けられた。
4年前、十三回忌を迎えたことを機に、京都市左京区の法然院に裕子の墓と二人の歌碑が建てられたという。文豪・谷崎潤一郎ら著名人が眠る名刹は、二人が結婚前にデートで訪問していた思い出の地。京都に出向いた際には、歌集を手にぜひ訪れたい。
公演は4日まで同所。
2026年11月04日 11時35分