◇村上龍さん死去
脳天にがしがし突き刺さる先鋭的な小説をこれでもかと世に出した村上さんと出会ったのは1987年暮れのアフリカだった。パリ・ダカールラリーの随行取材。期間中はほぼ毎日顔を合わせ、情報交換という名の世間話に花を咲かせた。帰国後、雑誌に連載された龍さんの紀行文は、私の拙い記事をはるかに上回る内容だった。まあ当然だけど。
その2年後、今度はル・マン24時間レースの取材で紙面企画を依頼した。現地に先乗りしていた私がパリに滞在中の龍さんと電話で打ち合わせした際、「ごめん、今起きたばかりで頭が働かないんだ」と言いながらも真剣な語り口で企画案を検討。陳腐なアイデアを持ち出すと「いや俺、作家だから」とやんわり拒否されたのだが、決して高慢な物言いではなく、文章表現家として健全な矜持(きょうじ)を感じたものだ。
大のスポーツファンで、テニスやサッカー、アメリカンフットボールなどの造詣も深かった。90年代以降は国際情勢や経済問題にも精通。数年前には将棋に興味があるという情報を聞き、藤井聡太王将の観戦記を依頼する腹案もあったのに、実現に至らなかったのが今でも悔やまれる。
今春、出張先のシンガポールでラッフルズ・ホテル周辺を訪れ「これが龍さんの描いた小説の舞台か…」と万感の思いを抱いたのも何かの暗示だったか。その半年後の訃報。サハラ砂漠で土ぼこりにまみれながら精力的に取材活動をしていた龍さんの浅黒い顔が、いまだ脳裏に張り付いて離れない。 (我満 晴朗)
2026年10月24日 05時25分