お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光(61)が26日配信のradiko15周年記念のオリジナルポッドキャスト番組「太田光と15人のしゃべり手」に出演。若手時代、一切話さなかったかつての“ライバル”を明かした。
爆笑問題は結成当時、有吉弘行も所属する太田プロダクションに所属。「あの頃、(ビート)たけしさんも抜けて、若手が俺らよりちょっと先輩でダチョウ倶楽部だったんですよ。太田プロライブの1発目の1組目、俺らだった」と回顧した。
「俺らまだ入って1カ月目ぐらいだから、桜金造さんが香盤表見て“何この爆笑問題っつーの。新人なの?”って、当時のマネジャーに」と、当時所属していた俳優でコメディアンの桜金造の話題に。桜から「太田プロがやる第1回目のライブだろ?こんな訳わかんないどこの馬の骨かもわからないやつら、大失敗したらどうすんだよ」と目の前でクレームを入れられたという。「俺は気配消して、自分だと思われないように嫌だなと思って。桜金造って嫌な奴だなっていうイメージなんだよ。そっから大嫌いなんだけど」と毒舌を交えてぶっちゃけた。
その上で「俺はダチョウ倶楽部がとにかくライバルだった」と太田。当時はまだリーダーの南部虎弾も在籍しており、「とにかく怖くて、何するかわかんないっていう。俺らのネタ見てややウケだったもんだから、俺らの楽屋にわざわざ入ってきて南部さんが“爆笑問題って名前変えた方がいいんじゃない。微小問題とかさ”みたいなこと言われて。そこから南部も大嫌い。そのあと南部さんとは仲良くなるんだけど」と振り返った。
その後「トリがダチョウ倶楽部で、トリ前が俺らっていう時期があった」といい、アンケートを取ると「絶対俺ら1位だったの。ダチョウは俺らのことがあの時嫌いだったんだと思うのよ。要するに若手で生意気で。松村(邦洋)くんも入ってきて、松村くんもそこそこ人気あって。言ってみれば自分たちの前でウケて、自分たちより人気ある。俺らも当時は調子に乗ってたんだよ。“ダチョウなんか”って悪口。向こうは向こうで俺らの悪口言うの。お互いけなし合いをしてたっていうのを、また聞きで聞く。だからダチョウとは一切話さなかったの」と明かした。
特に肥後克広については「肥後さん怖かったし、何考えてるか分からなかったしね。でも(後で分かったのは)何も考えてなかった」とも。「だけどあの頃は、なんか考えてんじゃないかと思って、俺らのこともなんかいろいろ考えて黙ってると思ったし、寺門ジモンもあんな感じ。だから一切ダチョウとはあの当時は話さなかった」とした。
それから時が経ち、有吉が上島竜兵さんやダチョウ倶楽部の面々をイジり出した時、「わー、いいな」と思ったという。「俺らも太田プロを離れてタイタン行ったから。年も近かったし、“あの頃俺がお前みたいに上島竜兵をイジったりできてたら、もっと2組でいっぱいできたのに”って思って。うらやましかった」としみじみ語っていた。
2026年10月28日 17時06分