1967年(昭42)3月17日、京都市右京区で生まれた。姉と兄が一人ずついる3人きょうだいの末っ子。3700グラムあったらしい。
親父(正雄)は物心ついた頃にはタクシーの運転手をしていて、そのうち自宅に工作機械を3台入れてネジやバネといった部品の製造を始めた。
しばらくしてタクシー運転手に戻ったが、どこかから依頼があったのかな。また部品を作るようになった。
ずっと後に兄貴(康志)から「おまえは知らへんやろけど、親父には凄い能力があったんやで」と教えられた。地元の大手機器メーカー、島津製作所からの発注もあったらしい。
おふくろ(住子(すみこ)は親父の仕事を手伝っていた時期もあったが、弁当屋さんのパートに行くようになった。食べ盛りの子供を3人抱え、裕福じゃない暮らし。余り物がもらえるということで決めたそうだ。
65年5月生まれの兄貴とはほぼ2歳違うのに、私が早生まれで学年は1つ違い。年が近いから少し意識してるところがあったのかな。いつも64年1月生まれで3歳離れたお姉ちゃん(ますみ)にくっついていた。
兄貴は体がでかくて、服のお下がりもお姉ちゃんから。赤やピンクを着せられるのはちょっと恥ずかしかった。
遊びといえば、野球しかなかった時代。野球好きな親父は最初、兄貴にキャッチボールの相手をさせていた。横で見ていたら「おまえもやるか?」と言われて、やってみたら「武志の方ができるやないか」。私が親父の相手をするようになった。
プロ野球を身近に感じる環境にも恵まれていた。家から歩いて1、2分のところに西京極球場(現わかさスタジアム京都)があったのだ。
兵庫県の西宮球場を本拠地とする阪急(現オリックス)の準本拠地球場。京都市立葛野(かどの)小学校に入った頃から近所の子供で集まって行った。年間10試合ほどの阪急主催ゲームは全部見たと思う。
当時は7回から入場無料。セキュリティーが厳しくない時代だったから、早い回でも外野の柵から簡単に入れた。1、2年生の頃は試合そっちのけで外野席を走り回っていたが、4年生で近所の少年野球チーム、葛野ジュニアスポーツ団に入ってからは真剣に見るようになった。
阪急は強かった。上田利治監督の下、私が3年生だった75年から3年連続日本一、4年連続パ・リーグ優勝に輝く全盛期だった。
1番から福本豊さん、バーニー・ウイリアムス、加藤秀司さん、長池徳二さん、ボビー・マルカーノと並ぶ強力打線。山田久志さん、足立光宏さん、山口高志さん、今井雄太郎さんら投手陣も充実していた。
◇中村 武志(なかむら・たけし)1967年(昭42)3月17日生まれ、京都市出身の59歳。花園高から84年ドラフト1位で中日に入団。2002年横浜(現DeNA)、05年楽天へ移籍し21年間プレーする。捕手として通算1932試合出場は歴代6位。オールスター出場8回、最優秀バッテリー賞2回。引退後は横浜、中日、ロッテ、韓国プロ野球の起亜でコーチを歴任。現在は起亜の国際スカウト(日本担当)を務める。
2026年11月02日 08時06分