小学4年生の時に入った葛野(かどの)ジュニアスポーツ団の団長、中村弘さんは食堂を経営していて、阪急(現オリックス)が西京極球場(現わかさスタジアム京都)で試合するときのケータリングを頼まれていた。
団長さんに「おまえもついてこい」と誘ってもらい、弁当を運ぶのについていった。目の前に憧れの福本豊さんや山田久志さんがいる。折れたバットや真っ黒になったボールをもらったりした。
世界記録となる通算1065盗塁をマークした福本豊さんにもらったのは、ひびの入ったバット。親父がくぎを打って振れるようにしてくれた。家の周辺は砂利地で小さい石がいっぱいある。拾い上げて畑に向けて打った。楽しくて毎日やった。
福本さんが使っていたのは、グリップエンドが太いタイカッブ式。1キロを超える重量バットだった。当時そんなこと知らなかったが、確かに太くて重かった。
山田さんのお宝もゲットした。登板日の試合前ブルペン。投球練習を終えたボールをスタンドにポンと投げ入れたのを、たまたま私が捕った。そのボールはプロ入り3年目にサインしてもらい、今でも実家にある。
葛野ジュニア入団直後は外野で球拾いばかり。強く投げ返していたら「まあまあ投げられるやないか」と認めてもらい、普通に練習させてもらえるようになった。
5年生になって試合で最初に守ったのはショート。肩だけは強かったので、すぐ「ピッチャーやりなさい」と言われた。そこそこ速い球を投げたのかな。捕れる捕手がいない。それは困ったということになった。
チームにはそれなりに上手な子がそろっていて、投手をできるのが3、4人いた。そこで私に「キャッチャーやってくれ」となった。人生初の捕手。つまらなくて仕方なかった。
打順は1番か3、4番。私にとって4番はあくまで4番目を打つバッター。一番たくさん回ってくる1番がよかった。
6年生の夏、418チームが参加した全京都少年野球選手権大会学童の部で準優勝。あと1つ勝てば、全国大会につながる近畿大会に進めたところ、伏見南浜クラブに0―1で負けた。前評判はウチの方が高かったのに負けて悔しかった。泣いた。
野球でかなわなかった優勝を経験したのは相撲だ。5年生の時、近所の神社にお相撲さんが来て、相撲大会が開催された。ふんどしをするのが格好悪くて尻込みしたが、嫌々出たら5年生の部で優勝。6年生の優勝者との決勝戦にも勝った。
するとどこかの部屋の親方が家に手形の入った色紙やいろんなグッズを持ってきてくれた。優勝のプレゼントと思って喜んでいたら、スカウトだったらしい。しばらくして親父が教えてくれた。断ってくれてよかった。
◇中村 武志(なかむら・たけし)1967年(昭42)3月17日生まれ、京都市出身の59歳。花園高から84年ドラフト1位で中日に入団。2002年横浜(現DeNA)、05年楽天へ移籍し21年間プレーする。捕手として通算1932試合出場は歴代6位。オールスター出場8回、最優秀バッテリー賞2回。引退後は横浜、中日、ロッテ、韓国プロ野球の起亜でコーチを歴任。現在は起亜の国際スカウト(日本担当)を務める。
2026年11月03日 07時35分