1979年(昭54)4月。京都市立四条(しじょう)中学に入学し、野球部に入った。投手を希望したけど、増井博監督に「キャッチャーをやりなさい」と言われた。
四条中学は生徒数が多く、2年生になるときに分校として西京極中学ができた。私は分校に振り分けられた。単純に地域で決められたのだが、野球のうまい生徒は分校に集中。私のことを「プロに行ける素材。俺が育てる」と言ってくれていた増井監督も志願して分校に異動し、野球部の監督を続けた。
この2年生のときから新聞配達を始めた。毎朝起きてランニングしていたが、ただ走ってもつまらない。何かないかと両親と相談し、新聞配達はどうかという話になった。
当時、中学では新聞配達のアルバイトは夕刊はダメだったけど、なぜか朝刊だったらいいよってなった。阪急京都本線西京極駅近くの新聞販売店に行って「アルバイトさせてください」とお願いして、やらせてもらうことになった。
最初に割り振られたのは150部ほど。京都新聞とデイリースポーツを配った。どの家庭も新聞を定期購読していた時代。30分ほどで配り終えた。ちょっと物足りない。「1時間くらいやりたいんですけど」と言って300部に増やしてもらった。
エリアが広がって家を覚えるのが大変だったけど、マンションが多かったのでよかった。ひとまず自転車で運び、最後は走って配達。エレベーターに乗ったらトレーニングにならない。階段を使った。
300部配ってアルバイト代は月に3万円弱。初めてもらったときにはおふくろに駅前そばをごちそうした。150円ぐらいだったかな。
このまま頑張ったら野球道具が買えるなと思った。おふくろと相談して毎月1万円ずつ積み立てて、ミットを買った。今ほどじゃないけど、3万円ちょっとした。
四条中学の分校としてできた西京極中学は3年生になるときに独立。新聞配達を続けながら野球の練習はちゃんと出た。
捕手で4番。3年生の夏、京都府中学野球大会は準決勝で亀岡市の高田中学に延長9回(中学野球は7回制)の末に1―3で敗れた。
勝っていたら決勝の相手は小学6年生の夏に決勝で負けた投手のいる中京中学。雪辱を果たしたかったけど、その前に負けて悔しかった。
さあ高校はどこに行くか。小学生のときはプロ野球を夢見ていたけど、中学時代は身近な目標として甲子園に出たいと思うようになっていた。
何校かお誘いがあって、大阪の学校もあったが、京都を出る気はなかった。自信がなかったんだと思う。家を出る勇気がなかった。自宅から通えて甲子園が狙える高校。電車で通うのも嫌だった。
◇中村 武志(なかむら・たけし)1967年(昭42)3月17日生まれ、京都市出身の59歳。花園高から84年ドラフト1位で中日に入団。2002年横浜(現DeNA)、05年楽天へ移籍し21年間プレーする。捕手として通算1932試合出場は歴代6位。オールスター出場8回、最優秀バッテリー賞2回。引退後は横浜、中日、ロッテ、韓国プロ野球の起亜でコーチを歴任。現在は起亜の国際スカウト(日本担当)を務める
2026年11月04日 07時34分