高校は自宅から自転車で通える花園高校に決めた。京都西(現京都外大西)の方が近かったが、校名が行きやすそうな感じだったし、清水茂監督が熱心に誘ってくれた。「特」が3つくらいつく特待生。当時3人くらいはそんな特別枠があった。
自転車を普通にこいで30~40分、一生懸命こいだら20分ぐらいで着く距離。新聞配達を続けながら通った。
野球部ではすぐ控え捕手の背番号12をもらった。出番はなかったが、京都府の春季大会でベスト4。3年生にいい選手がいたので、ちまたでは「夏は花園だろう」と言われていた。
ところが、京都大会の直前に不祥事が発覚。野球部員の同期の1年生がラグビー部員の1年生と一緒にオートバイを盗んで捕まったのだ。
野球部に下された処分は、6カ月の対外試合禁止。夏はもちろん選抜出場が懸かる秋季大会も出場できなくなった。最後の夏を奪われて泣き崩れる3年生が気の毒で仕方なかった。
新チームでは捕手で4番を任された。明けて1983年(昭58)、1年ぶりの公式戦となった春季大会は1回戦で洛水に延長10回の末、2―3で惜敗。1試合で終わってしまったが、晴れて試合ができてよかった。
夏の京都大会は快進撃を続けた。初戦の2回戦で紫野(むらさきの)を5―3で破ると、3回戦は八幡(やわた)(現京都八幡)に5―4で逆転勝ち。4回戦は亀岡に9―5と打ち勝った。準々決勝は東宇治に5―0と完封勝ち。準決勝は京都西に9―3で快勝した。
甲子園まであと1つ。決勝の相手は東山だった。初回に1点を先制しながら、3回に2点を奪われて逆転され、そのまま1―2で負けた。
東山の2番打者は鳴海力之輔さんという3年生の二塁手。凄く足が速いので有名だった。その鳴海さんの盗塁を阻止して、ちょこっとプロのスカウトの目に留まったらしい。
打席では全然打てず、3三振くらいしたと思っていたら、2安打で三振は1つ。8回には二塁打を放って1死二、三塁の逆転機をつくっていた。このチャンスを生かせず、1点に泣いたわけだが、まだ2年生。悔しいのは悔しいけど、あと1年あるという思いもどこかにあった。
最上級生となった秋季大会は京都府予選決勝で京都西に負け、京都2位で近畿大会に出場。初戦の2回戦で桐蔭(和歌山)に5―4で競り勝ちベスト8に進出した。
あと1つ勝てば、翌春の選抜がグッと近づく。準々決勝の相手は近大付(大阪)だった。
初回2死一塁から西京極球場(現わかさスタジアム京都)の左翼場外へ先制2ラン。大阪ガスを経て1987年ドラフト6位で近鉄に入団する左腕、木下文信からの一撃だった。
◇中村 武志(なかむら・たけし)1967年(昭42)3月17日生まれ、京都市出身の59歳。花園高から84年ドラフト1位で中日に入団。2002年横浜(現DeNA)、05年楽天へ移籍し21年間プレーする。捕手として通算1932試合出場は歴代6位。オールスター出場8回、最優秀バッテリー賞2回。引退後は横浜、中日、ロッテ、韓国プロ野球の起亜でコーチを歴任。現在は起亜の国際スカウト(日本担当)を務める。
2026年11月05日 07時00分