中日の元リリーフエースで、昭和のプロ野球界で“速球王”と呼ばれた鈴木孝政氏(72)が3日に放送されたBSフジ「プロ野球 レジェン堂」(火曜後10・00)にゲスト出演。1974年にセ・リーグ優勝を果たした中日が日本シリーズでロッテに2勝4敗で敗れ去った理由について語った。
1972年ドラフト1位で中日入りした鈴木氏。同じ千葉県出身の巨人・長嶋茂雄さんは「憧れどころじゃありませんからね、本当に神様。天の上の人」という存在だった。
そんな鈴木氏がプロ2年目だった1974年、中日は与那嶺要監督のもとでセ・リーグ制覇。優勝が決まったのは10月12日のことだった。
そして、そのわずか2日後の10月14日に行われた巨人―中日戦(後楽園)が巨人・長嶋茂雄の現役引退試合。この試合をどうしても見たかったが、まさかの事態で鈴木氏は見ることができなかった。
中日はこの日、主力選手不在で巨人戦を戦い、日本シリーズ前だというのに優勝パレードを実施。主力の鈴木氏はパレード組で、試合メンバーには入れなかった。
「大間違いですよ。どれだけ行きたかったか、後楽園に」。気持ち的にも残念だった“長嶋茂雄ファン”の鈴木氏。だが、もっと問題なのは日本シリーズ前に優勝パレードという日程とその内容だ。
「パレード…オープンカーに乗りますよね。左側に乗ると、左手ですよね、握手が。沿道の人と、何万人ですよ」
当時は軽いタッチなどではなく、がっつりと力強く手を握られたそうで「(ファンは)興奮してますから…。僕は左側だったんですよ。右側が(同じ右投手の)三沢(淳)さんだったんですね。三沢さん、右手出してるんです。もう腫れちゃって。投げるどころじゃないです。(選手としては)日本シリーズどうでもいいのか?になっちゃいますもん、最終的には」と最高のコンディションで臨めなかったことを悔やんでいた。
2026年11月04日 20時14分